ベーシックインカムと資本主義社会の終わり

堀江さんのブログのネタが、ちょうど最近ずっと考えてたこととかなり近かった。
http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10178349619.html


ベーシックインカムという言葉ははずかしながらこのエントリーで初めて知った。ベーシックインカムとは、最低限所得保障のこと。とりあえず暮らしていけるだけのお金をみんなにあげましょうよ、と。


リーマンの破綻から端を発して、世界中に不景気が広まっている。あらゆる業種が打撃を受け、今まで順調に成長を続けてきている新興市場にもその影響は至っている。その事実にみんな驚愕しておろおろして、えらい人は対策を打とうとしているけれど、もはや市場経済はリーマン破綻以前の状態と同じものには戻らないんじゃないだろうか。


景気がうまくまわっている状態というのは、みんながたくさんお金を使ってモノやサービスを買い、それにより会社も儲かって、その会社に勤めている人も豊かになるというもの。


だけど、今ほとんどの会社が売ろうとしているのは生活に絶対必要なものではない。「あってもなくてもいいもの」を欲しがる気持ちというのは恋にも似ている。バブル期の人々の消費行動なんてのは、恋に恋する乙女のようだ。だけど、先進国の人々、とりわけ若い世代は消費することに恋してはいない。必要でないものは今後ますます変われなくなっていくだろう。とりわけ不景気が進めば進むほどに。


本当は必要でないものを売るための労働。はっきり言えば、無駄な努力。そこがんばっても仕方ない、残念ながら。新興市場で売れる製品を作れば一時的にはうまく回るかもしれないが、いずれにしても不必要なものを無理にたくさん売らないと生活できないというの自体が究極の矛盾なので、必ずいつかは行き詰る。


だから、国民全員が暮らしていけるだけの収入を保障し、仕事はしたい人がすればいい。最低限の生活以上のものを求める人は、その求めるものの大きさに応じて働けばいい。好きなことを仕事にするというのも、労働の生活に占める割合が大きいからこそ出てくる発想で、こんなにも労働に生活を支配されなければ多くのことは個人や有志で集って好きにやればいい。


しかしこれを推し進めて保障される収入が増えれば増えるほど、社会に必要な仕事もやる人がいなくなるだろう。それに大して対策を取るならば、必要な仕事はすべて国が管理し、ベーシックインカムを受け取るすべての人が、それらの仕事を一年につき一定量請け負うことを義務付けられるというような形が考えられる。
そうすればあらびっくり!まさに社会主義


現金を渡さなくても、国が国民全員に住宅を提供するというのも良いんじゃないだろうか。それほど収入が多くない人にとって、今もっとも負担となるのが家賃だ。家賃さえなければ、減れば、かなり少ないお金でも生活していくことが出来ると思う。


現実的なラインで言えば、公営住宅を順次増やし、徐々に入居基準を緩めていくことでそれほど多く稼がなくても暮らしていけるようになり、雇用者は無理に全員に常に多くの給料を出さなくても期間労働や短時間労働で必要なだけ労働力を確保でき、みんな無理をしなくてすむ。


どちらにしたって、仕事をしたい人はするのだ。働かないことが罪悪なのではなく、働いた人が見返りをえられる社会になるといい。


無駄なものは作らず、買わない。考えてみれば、浴びるように物を作って売って買ってというのも歴史的に見れば産業革命以降のほんの数百年のこと。遠からずこの消費という名の熱病の歴史が終わっても不思議じゃない。過去よりも食糧の生産が安定的に行えるようになり、人の手の必要な労働が減ったのだから、多くの人々が少しの労働でただ静かに毎日生活を送ることができる未来が訪れるといい。


今たまたま色々な人が同じことを考えているということが、そちらの方向へ時代が向かっていることの兆候であればいいと思う。